【8/6「金魚鉢時代 小赤の繁殖」の続きです☺️】
ブリキシリーズ最終、メジャーなレトロバケツです(^^;
記事とは関係ありません(↓)
ふと気が付くと、小さな赤い金魚がこんなにも個性があるのかと思うほど、何だか色んな子たちに育っていました。黒が赤になったのも感動でしたが、エサをちゃんとあげていれば、あっという間に育つことにも驚きました(*_*;
さて、グングン育つ彼らを、金魚鉢から次の住まいに振り分けなければなりません。40ウン匹中、まずはAAランクに三匹が認定されました。そして、Aランクには10匹、Aマイナスに約15匹、Bランクに約15匹、という具合に。
Aランクの子たちは遠く里子に出され、三匹が実家の金魚鉢!暮らし、七匹が姪っ子の自然派幼稚園にもらわれていったようです。ちなみに、唯一匹、実家の子が、更紗柄からかなりの白勝ちになったようで、確率的には決して高くない「フナ尾更紗」だったのだなと思いました。
選りすぐりのAAランク三匹は、さっそくマツ・タケ・ウメと名付けられて、水槽の第一住民に、そしてAマイナスの約15匹も漏れなく加わります。Bランクの約15匹は、新たに外に置かれた睡蓮鉢とプラ舟に配置されたのでした。
過密は否めず、ずい分窮屈な思いをさせながら、飼い主の基準は金魚鉢であり(-_-;)一匹あたり3リットルあればしばらくは生活できるだろう…と考え、また、ワキンの中でも一番丈夫な種類であり、生まれた時から狭い環境で育った兄弟であったからか、水槽飼育に関してはほぼ何の懸念もありませんでした。金魚鉢を複数抱えていた飼い主にとって、水槽とはなんて楽なんだ!と感動すら覚えたのです。
こんなにたくさんの金魚を世話することになるとは予想だにしませんでしたが、どうにか生き物に対して責任を果たせるかもしれない環境が整って、信頼に足る金魚鉢から一歩進んだ水槽その他での、小赤っ子たちの生活が始まったのでした。かれこれ2012年の秋のこと、金魚のことは比較的よく記憶に留まっているようです。